優柔不断の男って腹が立ちませんか?
何でもパッと決める僕にとって、「何をそんなに悩んでいるの?」と思います。
女の子が「どっちの服にしよう」ってのは、「しょうがないなぁ~」と温かい目で見るようには、努力しますけど。
AかBかを決めて行動するのが、決断力 です。
この決断を出来ない人には、『選べているが決断できない』『どちらが良いか分からない』の2種類があります。
2つ(もしくは複数)から、自分が思う正しい方を選ぶのが 判断 で、その力を 判断力 と言います。
つまり、決断力の前に、判断力が必要となる、ということです。
『選べているが決断できない』
この思考の方は、自分の判断に従うことが出来ない か、もっと良い選択肢があると考えている のでしょう。
そんな人たちに、キツイこと言っちゃいます。ごめんなさい。
自分の判断に従うことが出来ない人へ
あなたが、何年間自分自身とお付き合いしているか分かりませんが、そろそろ信じてあげたら良くないですか?
自身の判断で間違ってしまったこともあるでしょう。でも、全てにおいて間違っていた訳じゃないでしょう。
たとえ判断を間違えてしまったとしても、「俺(私)が責任を取るよ!」と大きな心で受け止められませんか?
もっと良い選択肢があると考えている人へ
きっとあなたは、何に対しても後悔をする方なのでしょう。“お昼ごはん”から“結婚相手”に至るまで、ぜ~~んぶ後悔するのでしょう。
「あの時、こうしておけば」という考えは、何の役にも立ちません。
だって、こうしておかなかった訳ですから。
勘違いして欲しくないのは、そこにベストの選択肢があって例えそれを選んでも、きっと後悔する人なのです、あなたは。
もっと言うと、選択肢の中にベストがあったとしても、それがベストか分からないんです。あなたは。
勿体ないと思いません?
今考えうる一番良いものを既に選んでいるのに、行動に移せない。こういう時は得てして、チャンスも逃していることが多いです。
僕は、この「チャンスを逃す」が嫌いです。
見た目が悪いですよ!
大きな問題を前に、解決しようと頭をフル回転している苦悩の表情はちょっとカッコイイです。
逆はどうでしょう。
小さい事にずっと悩んでいる。間抜け面で、カッコ悪いです。
例えば昼飯に、ラーメンにしようかカレーにしようか迷う。「昨日の夜は麺類を食べたからカレーにしようか。でも、このラーメン屋今日は空いているみたいだし・・・」その理由がちゃんとしているほどアホさが増します。
あと、終わった後の後悔ですね。
「ラーメン食べちゃったけど、カレーにすればよかった」とか。
人生を揺るがすほどの選択だったか知らないですけど、他人の僕からすれば「どっちでもいいよ!」です。
ウジウジ後悔しても、選択したものは変わりません。ダサいです。
じゃあどうすればいい?
簡単です。自分の選択を後悔しなければ良いのです。
「反省はしても、後悔はしない」これって人生でとても大事なことです。
反省は絶対に必要です。次に同じ失敗を繰り返さない為にも。
でも、後悔は何の役にも立ちません。無駄です。たらればなんて。
意識を変える必要があります。
「何を選んでも結果は同じ」と思う(思い込む)ようにしましょう。
野球とサッカーどちらかで遊ぶ予定があったとします。野球を選び、ボールが目に当たり怪我をしました。あ~あ、サッカーにすれば良かった、と思うでしょう。
違うんです。怪我をするのはあなたの運命なので、サッカーをしても、ゴールポストにぶつかって怪我するんです。
中には検証する人もいるでしょう。電車かバス、どちらかで移動するとします。電車を選んだら人身事故で遅れた。仕方が無いことなのに、バスだったらどうかを検証する。
バスは遅れてないから、バスを選択するのが正解だ!そう思ってします。
本当にそうですか?そのバスの中で、嫌なことは起こりませんか?絶対に?
僕はこんな風に考えます。
「電車が遅れてストレスが溜まるが、バスに乗ったとしても同じストレスが何かしら用意されている」と。
まぁ~ご飯なんて何を選んでも死ぬわけではないし、タイミングをずらして告白してもダメなもんはダメだし、歩きだろうが自転車だろうが怪我する時はするんです。
選んでないことをいつまでも考えるなんて、愚の骨頂です。
ただし、選択は出来ているあなたは、まだマシです。
『どちらが良いか分からない』
選択肢に迷うのは当たり前のことで、誰しもが正解など分からないでしょう。
それでも、今までの経験などから、どれかを選択します。
決断力が無い人の中に、一切自分で 判断 をしない人が存在します。
この人種が一番困ります。(僕の職場にもいます)
自分の頭から何も生み出そうとしない
困ったこの人種、何かの分岐点に差し掛かった時は、必ず人に委ねます。
やり口としてまず、考えたフリをして他人に相談。自分もそう思っていた、とあたかも最初からあった意見のように進める。
でも問題は、決められないことを自分でちゃんと理解できないということ。これが非常にマズイですね。
なぜ自分で選択しないのか?
「失敗を恐れて」だと僕は思っていました。最初は。
でもその人種は、無計画・行き当たりばったりで、結構決めたりするんです。
自分で選べない選択と、勝手に選んでしまう選択のルールが分かりません。ここも厄介です。
いつになっても選択が出来ない要因は?
「判断する機会が少なく、自分の判断を顧みない」が多いと思います。
失敗したとしても、原因を精査して次に繋げれば良いという思考がないのでしょうね。失敗は必ずあるものです。人間だもの。
でも、選択が怖くて逃げてしまう。自分で判断するという、せっかくの機会を失っているのです。
「自分の価値観でしか考えられない」という理由もありそうです。
選択肢があって、他人が絡む案件の場合は、自分以外のメリットを考えればそう難しくありません。
しかし、相手はどうして欲しいか、何を喜ぶのかが分からない。普段から、他人の気持ちなんて考えていないのでしょうね。
改善策はあるのか?
アドバイスのレベルでは無理だと思います。
自分自身で意識の改革をしなければ、難しいと言わざるを得ません。
自らやる気を出さなければ、また他人の意見を丸呑みしてしまうでしょう。
手始めに、ブレない 自分ルール を決めましょう。
まず、人に流されない人間を目指しましょう。
例えば、分かれ道で考えてみると「左の道を選ぶ」「登りの道を選ぶ」「太い道を選ぶ」など、自分の選ぶ決め事のことです。
決断の出来る人は、現状を正確に理解できる(しようとしている)人だと思います。選んだ理由を聞くと、かなり明確に答えてくれる筈です。だから、進む道を選ぶにしろ必ず理由があります。
一方、判断できない人は、現状を理解するのが苦手なようです。現在地が分かっていないのだから、進むべき方向も見えません。悩んでも答えは出にくいので、予め進む道を決めておきましょう、ということです。
それを決められたら苦労しない、と言われそうですが・・・。
自分ルールは、自分独自のルールだから、何でも良いです。
迷った時に、「自分が一番得する案」とか「一番早く終わりそうな案」とか、必ず決めましょう。そして、決めたことを貫きましょう。
判断する経験を積んでいくと、ある時、気が付きます。「この自分ルールじゃダメかも」と。それで良いです。
じゃあ自分に、より合っているルールは何だろう?と考えます。それが積み重なって、判断ができる自分 になっていく訳です。
ある程度のことについて、事前に決めておいてシステマチックに進めれば、頭を使う必要(迷う場面)が無いはずです。
またまた、ランチの選択を考えてみましょう。ラーメンとカレーで迷った場合、いや、5種類で迷った場合で良いでしょう。
「値段の安い方」「量が多い方」「味が濃い方」「色が白い方」「五十音順で」「料理名が長い方」「メニューの後に載っている方」「基本Aランチで食べられないものが入っていればBランチ」
何でもいいです。どんどん考えられます。どんな理由でも成立します。
判断が出来ない人って、「もっと考えろ!」と怒られる機会が多いような気がします。この「考える」というのは、「自分ルールを考える」とニアリーイコールであると思います。
考える努力がかなり不足していると認識しましょう。
最終的に大事なことは?(まとめ)
僕は、即決できる人間であると自負しております。
判断や決断が出来ない人との違いを考えてみました。
僕は、まだ起こっていない事がイメージできます。ある程度の想像力が備わっていると思います。
また、物ごとの合格ラインを明確に自分で決めることができます。
そして、途中で問題が生じた場合には、即座に止めることもできます。
だから、人生で一番高い買い物と言われる「家」を1週間で決めました。
家を買うのがベターだ!と思ってから1週間です。
(図面を見て、次の週に内見をして即決しました)
以前から物件を調べていた訳ではないですし、理想通りの家を見つけたということもありません。
間取り図と周辺地図を見て、ある程度イメージが出来ました。流し台の高さ・庭の雰囲気・お風呂の広さが悪くなければ、決めようと内見しました。
契約の途中で、想定外のこと(頭金やローン等)があれば、すぐに止めるつもりで進めました。
負け惜しみなどでなく、家選びについて後悔していません。
じゃあ、この家が100点満点か?と言われると「絶対に違う」と言えます。
選んだものがベストだろうがそうでなかろうが、選んだのは 自分の運命 と受け入れて、無駄な後悔をしないことが肝要です。
目移りしていたら、自分がせっかく 選んだもの に悪いですから・・・。