コピの部屋

好きなもの・人に対しての想ひを語ってみます。お子様ランチ記事を目指します!

新選組と赤穂浪士の区別がつかなかった男が『幕末』を説明してみる

 

赤穂浪士の創設は、新選組の160年前だったことを知った男、コピでございます。
お読み頂き、有難うございます。

 

僕は歴史が苦手(嫌い)です。

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赤穂浪士と新選組は、同じ時代の団体だと思っていました。
これ、マジです・・・。
歴史が苦手な人にありがちじゃないですか?
●●と▲▲が同じ時代なのかどうか分からない、って。

 

ひょっとすると、ですよ、僕と同じレベルで歴史を苦手にしている人がいるかも。
そのような人の為だけに、ド素人にうぶ毛が生えた僕が、歴史を説明しよう!というのが今日の企画です。
今の僕は「歴史って何だか知らないけど嫌い!」という人の気持ちが理解できます。
その気持ちがあるうちに、記事を書きたいと思います。

 

【ご注意】
歴史に詳しい方にとっては、つまらない内容だと思います。そして、この記事に間違い・勘違いが存在し訂正を入れたくなるかも知れません。
あくまで、「歴史に全く興味の無い人」が「ちょっとだけ歴史を理解する」取っ掛かりとして作成しています。
とにかく、分かりやすさをモットーとしています。
脚色された部分があってもご容赦を頂き、「うちの藩を悪く言うな!」というクレームも控えて欲しいです。
もう一度言いますが、取っ掛かりですから。
歴史嫌いの人が歴史に興味を持った際には、キチンとお調べ頂くことをお勧めします。
また、難しい歴史用語などは、なるべく使用しないようにしたいと考えています。

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歴史に疎い人間(僕)から見ると、日本史が好きな人って『戦国時代』『幕末』が好きですよね。
戦国時代は、何となく理解できるんです。
「●●の合戦でどっちが勝った」「この武将のキャラが濃い」などという話は楽しいと思います。
でも、幕末って何かややこしくないですか?
「坂本龍馬っていたよね」「桜田門外の変って何?」「当時は鉄砲で戦ったの?」「薩長同盟がどうのこうの」など、よく分かりません。
僕に、歴史アレルギーの反応が出ます。
体中がかゆくなります。
でも、頑張りますよ。
歴史に疎い、僕の同志(勝手にそう思っています)に、幕末をご説明いたしましょう。

 

【再度ご注意】
今日の記事は、ドラマ『八重の桜』&僕の会社にいる歴史好きに聞いた話をミックスしています。
僕は綾瀬はるかさんが所属する会津藩(福島県)を応援していますから、そういう目線が入っているやも知れません。

 

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〔幕末ぜよ!〕

 

 

時代背景

いくら日本史を知らない人でも、1600年の『関ヶ原の戦い』くらいはご存じですね。
徳川家康が率いる東軍が勝った戦です。
そこから徳川家の一強時代が始まり・・・と歴史に疎い人は思っちゃいますよね。
ちょっと違うんですよ。
日本で一番偉いのが天皇なのです。
そして、天皇をリーダーとした朝廷と呼ばれる政府がありました。
朝廷には、天皇とセレブ貴族の公家(くげ)がいます。
「徳川家が強いんだったら、政府(仮)として任せればいいんじゃない?」と朝廷が決めました。
徳川家が、政府(仮)幕府として活動します。
徳川幕府が幅を利かせ続けて200年以上が経ちました。
朝廷の公家たちに「任せているけど、なんか徳川家って生意気じゃね?」という雰囲気が顔を出します。
更には、徳川13代将軍が頼りない(頼りないという表現にしました)という噂が流れ、日本各所で不穏な動きがチラホラと。

 

【海外】
ヨーロッパの国々が世界を巡り植民地化していきます
日本のお隣の清(中国)もかなりヤバい状態です
(銃でバンバン!大砲でドーン!)

 

一方、日本は・・・
「武士といえば刀と槍だ!鉄砲なんて卑怯者が使う道具だ!」
そんな感じです。

 

 

薩摩藩(鹿児島県)

薩摩藩の藩主は島津家です。
島津家は『関ヶ原の戦い』で敗れた西軍でした。
本当は東軍に入りたかったのですが、家康とひと悶着あって仕方なく西軍になりました。
だから、関ヶ原では、やる気がゼロです。
ジーっとしていたら、西軍が負けちゃいました。
徳川家が西軍の大名を処罰する中、「島津家は強いからきっと役に立つはず。薩摩の地をそのまま任せておこう」と決めたのです。

 

当時の幕府は鎖国をしていました。
ただ、鎖国と言っても、全ての貿易を禁止していた訳じゃないんです。
「貿易してもいいよ」という場所が日本にいくつかあって、その内の一つが薩摩です。
外国との交流によって新商品を手に入れられるし、外国の学問を学べるし、新たな情報を仕入れることが出来ます。
また、こそっと密輸したものを転売し大金を手にして、藩が潤ったらしいですよ。

 

薩摩藩といえば、西郷隆盛。
藩主の島津家は徳川の幕府で良いというスタンス。
しかし、西郷どんは違っていました。
外国からの情報を得れば得るほど「日本って古臭くてヤバくない?」と考えるようになります。
「天皇は守るけど、徳川の幕府ってどうなの?」というスタンスでいる西郷どんでした。

 

 

京都を守ろう!

徳川幕府になって、かなりの月日が経ちました。
「徳川って本当に強いんか?」と疑う過激派が増えていきます。
過激派は、の町で今日も暴れます。
朝廷が京都にありますから、何とかしなければいけません。
薩摩藩の島津さんが「京都を守る係を作った方がいいね」と言います。
でも、実際に、徳川家の戦闘力は低くなっていました。
「そうだ!東北の彼らならいけるんじゃなぁい?」
彼らとは、会津藩(福島県)です。
会津藩主はすごく嫌がります。
「京都って遠いじゃん!人も減るから東北で戦にでもなったら会津が潰れちゃう!」
「でも、朝廷を守れる藩が他にないんだって!」
「嫌だよぉ」
「そういえばさぁ。会津藩の家訓で徳川本家には逆らわないっていうのあったよね?京都を守るのって、徳川家の総意なんだけど」
「うっ」
そんな感じで、会津藩が渋々、京都を守りに行くこととなりました。

 

 

新選組

最初は倒幕(徳川幕府を倒す)を目標としていましたが、リーダーが変わって考えも変わり、京都の治安を守るグループとしてやっていこう!と決めました。
腕自慢の浪士が集まりましたから、自分たちの実力をアピールしたかったのです。
京都を守る会津藩の下部組織として活躍します。
が、腕が立つ分、暴走しがちです。

 

 

長州藩(山口県)

長州藩の藩主は毛利家です。
毛利家は『関ヶ原の戦い』西軍です。
薩摩の島津家とは違い、毛利家は西軍の中心メンバーでした。
戦に破れた毛利家は、領地をかなり減らされてしまいました。
酷い扱いを受けた毛利家は「いつか徳川を倒してやる!」と、ず~っと恨んでいます。

 

長州藩の中から吉田松陰という人物が出てきました。
吉田氏は「やっぱ天皇が中心の日本が良くね?」「外国人は追っ払った方が良くね?」「幕府(徳川家)だけじゃなくて多くの藩からアイデアを出せばいいんじゃね?」という考えを広めます。

 

ただ、徳川幕府から見たら「長州は何を言ってんの(怒)」となります。

 

 

黒船来航

横須賀にペリーの黒船がやって来ます。
「鎖国はやめて、アメリカと自由に貿易しましょ」という交渉の為です。

 

日本国内は、開国派鎖国のまま派が入り混じります。
そこには色んな考えがありました。

 

もう、鎖国なんてやめちゃえばイイじゃん
あんなにデカい外国人が日本に入って来るなんてヤバいって
日本の戦のやり方は古いのだから諸外国に学んだ方が良い
とりあえず、徳川家は倒したい!
米国を受け入れたフリして新型の銃を手に入れたらいいんじゃね?
開国を拒否したら日本がやられちゃう
とりあえず天皇は絶対だ!
そのうち日本は、ヨーロッパの国の植民地にされるんじゃね?
徳川消えろ!
アメリカと仲良くしておいて損はない
天皇を守る為には外敵は排除すべし
敵は徳川じゃね?
日本はとにかく遅れてるんだよ

 

当時、「開国」「鎖国」という単純な構図ではありませんでした。
考えは色々です。
しかも、途中で考えを変える者も出てきました。

 

 

井伊 直弼(いい なおすけ)

幕府の大老・井伊直弼の登場ですよ。
大老とは将軍補佐の最高職です。
井伊氏は徳川家が大好きです。
天皇よりも、徳川家の行く末が心配です。
朝廷と幕府を合体して日本国の運営をしていくのが良いと考えました。
徳川家の未来を考えると、開国を選びアメリカと手を組んで物事を進めたほうが得策だと感じています。
「早くしないとヨーロッパから変な要求されて日本はヤバいことになる!」とアメリカに急かされていますし。
幕府の中心に居るのは将軍様でしたが、殆どのことは大老と老中で決めている現実がありました。

 

幕府が開国の方向で進めようとしていましたが、邪魔をする者が現れます。
徳川家の水戸藩(茨城県)です。
水戸藩は水戸黄門がいた藩ですね。
黄門様調べだと、この日本はすっごい昔から天皇中心で政治が行われていたようです。
天皇中心の形がとても健全であると黄門様は思いました。
その思想は、水戸藩で脈々と受け継がれました。
「天皇が中心なのだから、徳川家が朝廷と一緒に政治をするなんておこがましい!」
そして「徳川家は幕府を辞めていいんじゃない?」という考えが水戸藩にあります。

 

 

安政の大獄

朝廷と幕府の合体を模索する井伊直弼の動きを察知した水戸藩は考えます。
「黒船が来たことを利用して、天皇中心の日本に戻そう!」と。

 

【水戸藩の会話】
そろそろ14代将軍を決める時期ですが、水戸藩出身の一橋慶喜(のちの徳川慶喜)を推しましょうぞ。
※徳川家なのに松平や一橋の姓があるのはなぜ?は、また後日
慶喜は、ただ神輿に乗るだけの将軍じゃない。
とても賢い男です。
絶対に天皇中心の世の中に導いてくれるはず。
徳川家の力が弱まれば、喜ぶ西日本の藩もあるでしょう。
地方の垣根を越えた、慶喜推しです。
一部の公家さんには、もう根回しが済んでいますよ。
井伊直弼は、きっと今までのように上層部で勝手に決めて「開国」することでしょう。
その時に言ってやるんです。
「あー、みかど(天皇)の許可を取らずに決めちゃっていけないんだー」と。
一部の公家さんは「そーだ!そーだ!」と声を上げます。
井伊直弼は失脚し、将軍・慶喜の誕生です!
フフフ。

 

井伊直弼は案の定、天皇の許可無く開国の条約に調印しました。
朝廷で「おい!直弼!いい、のか?」などと言われました。(たぶん)
ただ、井伊氏は、思いのほか力がありました。
「慶喜推しの不穏な動きのお前ら全員、抑圧したる!」と水戸藩などを弾圧しました。
これが、安政の大獄です。 

その後、井伊氏が、弾圧された水戸藩の脱藩浪士に暗殺されたのが、桜田門外の変です。

 

 

池田屋事件

京都の旅館「池田屋」に長州藩の過激派が集まっていました。

 

桜田門外の変で徳川家の力が弱まるかと思いきや、そうでもなかったのです。
朝廷は会津藩(徳川家)をガードマンとして迎い入れている状況。
天皇と会津藩主のベッタリな関係に、長州は腹を立てています。

 

もうさ、御所(天皇のおうち)に火を放ってさ
あたふたしている隙に天皇を連れ出してさ
会津藩主の首を取ってさ
調子に乗っている会津藩を排除しようぜ

そのような話をしていました。

 

不穏な動きを察知していた会津藩ですが、池田屋に居る長州藩の過激派をどうしたものか?と考えていました。
京都の治安警察のつもりで危険な思想を持つ人間を排除してきた会津藩ですが「ちょっとやり過ぎでは?」と世間の風当たりが強くなっていたからです。
会津から遠く離れた京都で敵は作りたくないなぁと考えていました。
会津藩の指示を待っていた新選組が勝手に動き出します。
僅かな人数で長州藩士をやっつけてしまいました。
新選組の名が全国に知れ渡ります。
一躍有名になった新選組でしたが、新選組の上司である会津藩と共に長州藩の恨みを買うことになった出来事でした。

 

 

長州藩が激怒して

池田屋事件をきっかけに、京都に居づらくなった長州藩。
朝廷に「長州は悪くないよ」と説明に行っても聞き入れてもらえず。
「徳川家が何か吹き込んでやがる」長州は思います。
御所にいる会津藩を倒すために、長州藩士が集まりました。
元々、天皇を尊重しよう!という考えでしたが、打倒徳川の気持ちが強くなりました。
武力衝突が始まります。
御所を守る会津藩に銃口を向ける長州軍。
つまり、それは、天皇・朝廷に銃を向ける、ということです。
銃といえば、長州軍が使用している銃は比較的新しめの銃。
一方、会津軍は火縄銃がメインなので、劣勢に立たされます。
ガンバレ会津!負けるな会津!!
ド~~~~~ン
そこに現れたのは、西郷どん率いる薩摩軍です。
「別に会津はどうでもいいけど天皇は守らねば」
薩摩も新しめの銃を持っていますから、長州軍をドンドン倒していきます。
長州は敗北しました。

 

京都の中心部で起こった戦いだった為、京の町は火の海と化します。
多くの建物が焼け落ちました。
家を失った人々は思います。
「会津藩、ふざけるな!」と。

 

御所を攻撃した長州藩は、朝敵(朝廷の敵)の烙印を押されました。
長州は、天皇・朝廷がすごく好きなのに・・・。
幕府は朝敵である長州を倒そうと動いていましたが、ボロボロになった長州は家老たちの切腹によって何とかことを収めようとします。
長州藩は、幕府に屈服したのでした。

 

 

徳川14代将軍・家茂(いえもち)

14代将軍は一橋慶喜ではなく、徳川家茂が就任しました。
井伊直弼がプッシュしていた人物です。

 

開国をした日本は酷い状況になっています。
諸外国の理不尽な取引によって物価が高騰し、庶民は苦しみました。
朝廷や幕府もザワつきます。
将軍の家茂が朝廷にて仕方なく宣言します。
「じゃあ、外国人を追っ払いましょうね」

 

喜んだのは長州藩。
ここは一発、諸外国をやっつけて汚名返上だ!
下関海峡を通る外国船に砲撃を加えてみます。
逆襲されました。
大事な砲台を壊されてしまった長州藩。

そして、薩摩藩。
勘違いで殺害してしまったイギリス人の件でひと悶着ありました。
鹿児島湾に入ってきたイギリス艦を何とか退けましたが、多くの家が焼失し大きな被害を受けました。

長州藩と薩摩藩は、日本の戦力では諸外国に勝てないことを知ります。

 

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ここまで書いておいて何ですが、今日の記事、面白いですか?
一般的な歴史の書物と変わらない気がしてきました。

 

このあと、天皇が亡くなって、土佐藩&坂本龍馬が出てきて、戊辰戦争になって・・・と続いていきます。
記事の途中に「会津藩の細かい情報も入れよう!」と僕は考えていました。
このままでは、メチャメチャ長い文章のブログ記事になってしまいます。
ですから、このあたりで切り上げたいと思いま~す😅

 

 

 

まとめ

幕末って色々あったんですよ。
ブログ記事1個で済ませる話じゃないです!
僕が言うのも何ですが・・・。

 

歴史に全く興味の無い人の取っ掛かりになりましたでしょうか?
ならなかった場合は、また違うアプローチを考えたいと思います。
何故僕が幕末の話に熱心かというと、最終的に、会津藩が朝敵(朝廷の敵)の烙印を押されてしまうからです。
幕末の出来事をキチンと説明し、綾瀬はるかさんの汚名返上したいのです!
って、綾瀬さんの名は汚れてないですけどね🤪

 

本日は以上です。
室町時代は相変わらず全くわからない男、コピでございました。
お読み頂き、有難うございました。